2017-01-01から1年間の記事一覧

1050話 イタリアの散歩者 第6話

あっ、転んだ! パレルモの2日目の朝、車道から歩道に上がろうとしてつまずいて、転んだ。左手をついたとき、「まずい!」と思った。もし、手首を捻挫したら、あるいは悪くして骨折したら、これからの旅をどうしようと、0.1秒ほどの間に考えた。足にも手首に…

1049話 イタリアの散歩者 第5話

ケ日記 到着した空港で、その国の言語を覚えるということがある。ゲートからイミグレーションに向かい、そのあと表示に注目して歩く。スペインの場合、”Solida”という文字の下に、Exit”とあるので、スペイン語で「出口」はそういうのだとすぐにわかる。フラ…

1048話 イタリアの散歩者 第4話

イタリアはヨーロッパか 前回書いた事とは別の意味で、イタリアはヨーロッパなのかと思うシーンがいくらでもあった。 ナポリ駅前は工事中で、広場には出られない。駅を出てそのまま前には進めないから、駅を出たら右か左どちらかに向かうことになる。宿探し…

1047話 イタリアの散歩者 第3話

これがイタリアか その2 剥離、はがれ落ちる パレルモ駅のそばに長距離バスのターミナルがあり、パレルモを離れる時の情報を集めに行ったら、路面電車を見つけた。鉄道駅の隣りが、路面電車の始発駅だった。駅、というよりは乗り場だが、そこにキップの自動…

1046話 イタリアの散歩者 第2話

これがイタリアか その1 恐ろしき朝食 パレルモに着いて数日のうちに、「イタリアとはこういう国か!」という印象があり、たった数日でわかるわけはないというのは正論だが、そのあとの旅で、やはり第一印象は正しかったという結論に達した。 そのひとつが…

1045話 イタリアの散歩者 第1話

道に迷う ローマで乗り換えて、シチリアのパレルモに来た。シチリアがおもしろそうなら、そのまま居続けてもいいし、飽きれば北上すればいいということくらいしか考えていなかった。パレルモには安宿があまりないのではないかと思ったので、イタリアの旅の最…

1043話 旅する人数

2017年春学期の私の授業の成績評価のレポートは、2テーマ用意した。そのひとつは、旅する人数に関するものだ。「ひとり旅とふたり以上の旅の、それぞれ長所と短所をあげて、自分が理想とする旅の人数はどういうものか書いてください」といった内容だ。こうい…

1042話 韓国食文化と血

韓国の食文化を扱うテレビ番組を見ていると、「あれ?」と疑問に思うことがある。料理の仕方が、常識を外れているのだ。料理の常識というのはそれぞれの民族や地域によって違うことはわかっているが、それでも大筋というのはだいたい決まっている。そう思っ…

1041話 道路に名前を

世に「2020年問題」と呼ばれるものがあるようで、ネット検索でも、さまざまな問題があるらしい。2020年の東京オリンピックと異文化衝突の問題に限定すれば、世界の常識である「電車内の通話」が、日本の常識とぶつかるとどういうことになる。飲食店などの喫…

1040話 夜にノクターン

ジャズ・ピアニストの名を多く知ってはいるが、その音を聞いたことがない人がいくらでもいる。何もわからずにCDショップに行くのは冒険が過ぎるので、Youtube(以下Yt)で下調べをする。こういうことを、もう何年も前からやっている。 まずは、「Jazz 、Pian…

1039話 CDのダンボール箱セール

本は、新刊書店であれ古本屋であれ、書店よりもネット古書店で買う方が多くなったが、CDは多分半々くらいだろうか。ブックオフは、本は108円からあるのだが、CDは割高でしかも私好みのジャズやワールドミュージックなどのジャンルの品揃え著しく貧弱なので、…

1038話 噴飯本

読書に疲れて机の本を眺めた。積んである本をそろそろ片づけないと雪崩を起こす危機が迫っている。積んだ本のなかに、やけに付箋が多い本がある。さて、どんな本だったのか。中国系の大学教授(国籍は不明)が書いた食文化の本だ。『箸はすごい』(エドワー…

1037話 スポーツの問題

私はあらゆるスポーツに興味がないので知識もないのだが、それでもテレビやラジオの情報に接して、「それは変だ。おかしいぞ!」と思うことがある。素人の疑問や感想に、スポーツファンの意見を聞きたい。 以前、このアジア雑語林で「スポーツアナウンサーが…

1036話 日本の常識は、「外国はアメリカとフランスと・・・」

テレビのスイッチを入れたら、「なぜ日本人は器を手にもって食事をするのか?」というテーマが取り上げられていた。新聞のテレビ番組表を見たら、「この差って何ですか?」(TBS)という番組だ。 人の食事の仕方というテーマは興味のあることで、長年考えて…

1035話 旅する目的、あるいは旅する理由

1964年4月以降、日本人は目的もなく外国に行くことが許される時代になった。実際の目的が何であれ、パスポート申請書に「観光」と書くだけでよくなった。今では、「渡航目的」を書く欄そのものがない。公的には、旅する目的など求められないのに、自分自身で…

1034話 ワンダーフォーゲルの事などから その5

戦前期の若者の旅のヒントをつかみたくて、『梅棹忠夫著作集 第1巻 探検の時代』(中央公論社、1990)を買った。箱入りの、600ページ弱の重い本だ。 この本で、梅棹少年が熱心に読んだ旅の本のことを書いている。子供向きのリビングストンやアムンゼンの本は…

1033話 ワンダーフォーゲルの事などから その4

梅棹の文章を読んでいるとよく出てくるのが、「京都帝国大学にあった旅行部」というものだ。旅行部とは、実質上山岳部と同じようなものだったらしい。旅行部が山岳部になり、そこから探検部が分離独立をはたしたという歴史はわかるのだが、そもそも旅行部な…

1032話 ワンダーフォーゲルの事などから その3

日本の外国語教育史に興味があって、ちょっと調べたことがある。戦前の日本の教育制度は実に複雑で、容易には理解できない。小学校には尋常科と高等科があり、飛び級があり、予科があり、軍の学校があり、複雑怪奇である。旧制高校そのものについてもちょっ…

1031話 ワンダーフォーゲルの事などから その2

そんなおり、つい先日古本屋で見つけたのが、『ワンダーフォーゲルの活動のあゆみ―学生登山の主役たち』(城島紀夫、古今書院、2015)だ。自費出版だろう。日本の大学のワンダーフォーゲル部の活動記録をまとめ、部の雑誌を紹介したもので、労作ではあるが、…

1030話 ワンダーフォーゲルの事などから その1

若者の旅の歴史を考え始めて、もう数十年になる。なぜ若者なのかというと、仕事や家族など社会の枠が低く弱いからだ。別の言い方をすれば、比較的自由に動ける可能性があるから、若者の旅を調べるのはおもしろそうだと思ったからだ。 若者は、何をきっかけに…

1029話 『ゴーゴー・インド』出版30年記念、あのころの私のインド その20

やむなく、続編を書くことに・・・ その2 フランス郵船MMに乗って日本を出た人たちの旅行記は、私が買っただけでも自費出版のかたちで何冊かある。『カンボジア号幻影』(恵原義之、新風舎文庫、2005)は、1945年生まれの著者が1969年におもに南アジアを巡…

1028話 『ゴーゴー・インド』出版30年記念、あのころの私のインド その19

やむなく、続編を書くことに・・・ その1 私のインド話は前回で最終回にして、これで身も心もさっぱりして、新しい生活が始まるはずだったのに、なんてこった。 最終回のブログ原稿をアップして、「さて、自由に読書だ」と、机の脇に積んだ本の山に挑んだ。…

1027話 『ゴーゴー・インド』出版30年記念、あのころの私のインド その18

雑記 私のインド話も、今回が最終回だから、ノートを見ながら、思い出すままにいろいろ書いておこう。 参考までに、カルカッタの路上で口にした飲食物と、その値段を書き出してみる。Pはパイサ、100パイサ=1ルピー=35円が目安。 チャイ(ミルクティー)・…

1026話 『ゴーゴー・インド』出版30年記念、あのころの私のインド その17

Paragon パラゴンホテルがちょっと気になって、もうちょっと調べてみたくなった。 1960年代にイギリスからタイまで旅した少年が、1995年に同じ旅をしたという本に、この宿が登場するのか確認したくなったのだ。バンコクでは、かのタイソングリートに泊まった…

1025話 『ゴーゴー・インド』出版30年記念、あのころの私のインド その16

サダル通り 路面電車をエスプラネードで降りて、チョーリンギーという大通りを南に歩いて行くと、左手にインド博物館が見えてくる。博物館の手前を左折すると、そこがサダル通り(Sudder St.)、そのまま歩いて行くと右手に安宿のひとつサルベーション・アー…

1024話 『ゴーゴー・インド』出版30年記念、あのころの私のインド その15

安宿を探せ、 観光案内所 カルカッタの安宿パラゴンの情報を、どうやって手に入れたのかという考察がまだ続く。 1974年の旅は、わりと日記を書いていたので、日記を取り出し、マドラスからカルカッタに着いた日を探す。なーんだ、ちゃんと書いてある。初めか…

1023話 『ゴーゴー・インド』出版30年記念、あのころの私のインド その14

安宿を探せ、旅行ガイド 2 引き続き、旅行ガイドの話だ。パラゴンをどうやって知ったかという話の続きだ。 1974年のインド旅行で、初めてカルカッタに行った。そのときに、かのパラゴンホテルに泊まっていたことを覚えている。「かの」というのは、のちに有…

1022話 『ゴーゴー・インド』出版30年記念、あのころの私のインド その13

安宿を探せ、旅行ガイド 1 1970年代前半には、使い物になる旅行ガイドはなかったと書いた。1974年のインド旅行では、カルカッタでパラゴンホテルに泊まっているのだが、その情報は何かの資料で読んだのか、それとも旅行者に教えてもらったのかわからない。…

1021話 『ゴーゴー・インド』出版30年記念、あのころの私のインド その12

ペナンでインドのビザを インド行きの情報をいろいろ教えてくれ船会社の社員が、「ビザを取ってください。乗船券を買うのはそのあとです」という。それはわかっているが、ペナンにインド大使館はない。ビザをとるには、クアラルンプールかバンコクに行くしか…

1020話 『ゴーゴー・インド』出版30年記念、あのころの私のインド その11

船で、またインドへ 船から香港島、九龍半島が見えた時は、「ざまあ、みやがれ!」という気分だった。前年の秋に見た香港が、今また目の前にある。海外旅行は「一生にたった一回の大事業」と思っていて、昨年は日本を出るまでにいろいろ苦労したし、帰国した…