2023-01-01から1年間の記事一覧

1985話 橋を渡る その8

マカオの長い橋を歩き始めて、「こんなに長いんじゃ、歩かなきゃよかった」と反省したものの、途中で戻るくらいなら歩き通した方がいいななんて考えていたことを思い出したのは、マカオの橋を歩いた翌年の1980年のサンフランシスコだった。その橋は、サンフ…

1984話 橋を渡る その7

国境の橋を渡るといえば、陸路でシンガポールに入るなら橋を渡るのは当たり前で、さしておもしろくない。アジアで、国境の橋を渡る体験を思い出すと、まずタイとマレーシアの間の国境を思い出す。ガイドブックなのではほとんど紹介されていない国境をいくつ…

1983話 橋を渡る その6

バンコク郊外にムアン・ボーラン(直訳すれば「昔の街」)という施設がある。今、ネットの画像を見ると、広大な園内を自転車、ゴルフカート、トラムなどで移動しながら観光できるようだが、私が初めてそこに行った80年代は、施設もまだそれほど多くなく、移…

1982話 橋を渡る その5

1980年代に入って、東南アジアの食文化の本を勝手に企画して、自費で取材をしていた。80年代後半には、その本の構成がしだいにまとまってきて目次を作った。東南アジア各地で食べたかき氷のこともぜひ書きたかった。かき氷の東南アジア史を調べるには、かき…

1981話 橋を渡る その4

さて、橋の話に戻るか。 十数年前までは、中華街は眠り続ける街で、戦前の風景のままだったのだが、地下鉄工事に関連して、景色が大きく変わっていった。中華街の建物が汚いままだったのは、地下鉄駅などの関連工事が計画されていたから建物のリフォームや建…

1980話 橋を渡る その3

「さあ、行こうか」 彼は立ち上がり、私も歩き出した。アジアの伝説的安宿タイ・ソングリートを出て、バンコク中央駅の方向に戻り、運河にかかる橋を渡った。この運河がパドゥン・クルン・カセームと言う名で、そこにかかるチャルン・サワット橋は1916年に建…

1979話 橋を渡る その2

初めて渡った外国の橋は、どこのどういう橋だったか記憶がない。インドやネパールの川にかかる橋を渡ったかもしれないが、まったく覚えていない。記憶に残っているもっとも古い橋はバンコクだ。 1973年、ドンムアン空港に降り立った。空港を出ると、ちょっと…

1978話 橋を渡る その1(おそらく、全11回)

アマゾンで本を買うことが多いので、最初に出てくるアマゾンのページは「本」だ。日ごろの購入履歴から、「さあ、こういうのはどうですか?」というお勧め本が画面に出てくる。ある日に登場したのは、『地球の歩き方 世界のすごい島300』だった。「サンプル…

1977話 雑話をいくつか

■スポーツアナウンサーの反射神経や過去の記録を頭に入れておく記憶力は素晴らしいとは思うが、語彙不足、表現力不足はよく感じる。 夕食の準備を始めるころ、夏ならラジオはこれから始まる野球中継の紹介をしている。そうなると、ラジオはNHKの外国語講座に…

1976話 履き物を脱いで その4(最終回)

このコラムの1972話で紹介した『フィンランドは今日も平常運転』に、靴下にサンダルというスタイルをしているのはフィンランド人だと書いているが、そう断定はできないだろう。今まで、さまざまな土地で、白靴下にサンダルという旅行者を何度も見ているが、…

1975話 履き物を脱いで その3

集合住宅であれ一戸建てであれ、家に入るときに履き物を脱ぐかどうかという文化の違いは、床での生活の違いだ。床が寝床であり、食卓でもあるという生活をする人たちは、履き物を脱いで家に入る。中国人は古くから椅子とベッドの生活をしているから、家に入…

1974話 履物を脱いで その2

タイの習慣に少しは慣れていると思い込んでいたころ、「これはなんだ!」と驚いた光景があった。街散歩をしていたら、歩道の脇に脱ぎ散らしたサンダルが何足もある。ガラス張りの店の前で、中を見ると美容院だ。美容院でも、店によっては履物をはいたまま店…

1973話 履物を脱いで その1(全4回)

バルト三国を実際に旅したというのに、3か国の位置関係がわからなくなることがあった。リトアニアとエストニアの国名が似ているからだ。バルト三国の情報をネットで探して読んでいたら、位置関係を頭に入れるには、「フェラーリ」と覚えましょうという解説…

1972話 服が長持ちする理由 その4(最終回)

その昔、「パンツのゴムと歯ブラシは変え時が問題」というジョークがあった。今のパンツはベルト状の平ゴムが多いので、ゴムの取り換えは少なくなった。だから、ゆるゆるになり、ずり下がってしまうようになれば捨て時だが、それがいつかというのが問題であ…

1971話 服が長持ちする理由 その3

それまでの10年ほどは、初秋になると日本を離れ、晩春になると日本に戻るという生活をしていたので、日本の冬を長らく体験していなかった。だから、日本定住を決めた冬は寒さが身に染みたのだが、哀しいかな手持ちの冬服を着るには太りすぎていた。そこで、…

1970話 服が長持ちする理由 その2

「私の20世紀の旅」などと言うと大げさな気がするが、2000年あたりまでは熱帯を旅していた。あのころの服はすぐ傷んだ。その理由は、安物の服だったからでもある。1990年代、バンコクのチャトゥチャックの週末市場で売っていたTシャツは、一番安いのは4枚10…

1969話 服が長持ちする理由 その1

服が長持ちするという実感がないだろうか。 「この服を買ったのはもう10年前か、いや20年を超えるか」などということに気がついたことはないだろうか。30代の人なら、高校生時代に買った服をまだ着ていることに気がつくかもしれない。 昔は、服が長持ちしな…

1968話 それぞれの人生

テレビ番組で、ある雑誌の編集室を映していた。編集者たちのなかに、その雑誌のアートディレクターがいて、画面に彼の名が出た。「もしや・・・」と思い、じっと顔を見ると、確かにそうだ。その名と顔に記憶がある。老いているが、間違いない。会ったのは、…

1967話 ふたたび、インドネシアの小鳥について

インドネシア・シンガポール・ドイツの合作映画「復讐は私にまかせて」を見た。 予告編はこれ。インドネシアが舞台だから、インドネシア映画という感じがする。この映画を見ていて「タランティーノの影響が強いな」と感じたのだが、ネット情報を見ると、私と…

1966話 ノコギリは、押すか引くか

川田順造の『もうひとつの日本への旅―モノとワザの原点を探る』(中央公論新社、2008)は、すでに発表した文章と重複する内容が少なくないので、知っていることも多いのだが、詳しく覚えているわけではないので、「ああ、そうだったか」と感心することもあっ…

1965話 私の1973年物語 その5(最終回)

私が買うことになった2泊分の宿付きインド行き航空券を売っていた旅行社の広告を、どこで手に入れたビラで見たのかおぼえていないし、そもそも旅行社の名も覚えていない。弱小零細企業なのだが、なんだか怪しい。というのは、赤羽あたりの木道アパートにあ…

1964話 私の1973年物語 その4

1973年の旅では、400ドル分を両替している。日本円が外国で自由に使える時代はまだ来ていないから、日本でアメリカドルに両替しておく必要があった。400ドルの内訳は、トラベラーズチェックが370ドル、現金が30ドルだ。平和相互銀行の「通貨交換計算書」を見…

1963話 私の1973年物語 その3

1970年代初めは政治と反体制運動の気風がまだ続いていて、新宿から中央線で吉祥寺あたりまでの喫茶店や小さな本屋に、さまざまなチラシやミニコミが置いてあった。チラシのなかに、オペア(フランス語 au pair)の広告があった。オペアは今風に言えば、ワー…

1962話 私の1973年物語 その2

その当時は何も意識していなかったが、振り返って事実を追っていくと、1970年以降の海外旅行史が少しわかる。海外旅行は1964年に自由化され、制度上は誰でも、目的が観光でも何であれ、年に1回海外旅行をする自由を得た。だが、実際は、旅行費用があまりに…

1961話 私の1973年物語 その1

最近、マスコミで「1973年」という語を目にし、耳にすることがしばしばあり、73年に何か大事件があったのだろうかと考えていて、気がついた。「この50年間」あるいは「この半世紀」という節目にちなんだ話題を探しているらしい。 1973年は、20歳から21歳にな…

1960話 山下惣一を読む 下

山下さんの怒りは、農作業を知らない都会人の勝手な発言に対するものだ。だから、「もういい。あいつらの食うものは作らない。オレは、オレの家族が食う分だけ作る」という結論に達した。 そういう結論を出すまでに、こんなこともあったというエピソードを紹…

1959話 山下惣一を読む 上

「農民作家」と呼ばれた山下惣一さんが亡くなった。まずは、「農民作家」と「 」をつけて書いた理由から話を始めよう。 百姓は誇りであると思っている人たちが集まり、「全国百姓座談会」というものを開催した。もちろん、山下さんも呼びかけ人のひとりだ。…

1958話 文章の臨場感について

フィンランドの生活記『フィンランドは今日も平常運転』(芹澤桂、大和書房、2022)を読んだいきさつは別の機会に書くことにして、ここでは別の話をする。この本を読んでいて、フィンランドの首都ヘルシンキで暮らす著者の日常生活を描いているのに、臨場感…

1957話 大阪という異郷 下

かつて「大阪と構想」というものがあった。いろいろ考えてみると、この「と」にふさわしい漢字は賭博の「賭」だろうという結論に達した。大阪を賭博場にして、寺銭を稼ごうというのが、大阪を指導する政党幹部の考えらしい。経済的に悪化しているから、バク…

1956話 大阪という異郷 上

NHKの地方局が作った散歩番組を時々見る。ローカル番組を全国放送しているようだ。つい先日見たのは枚方編だ。これで「ひらかた」と読めるのは大阪人だが、子供時代に行ったことがあるから、私はまず耳で知りのちに文字を目で知った場所だ。枚方といえば菊人…